しばらく前のある日、社内で、こんな依頼を受けました。

「新社会人におすすめのアイテムを3つ挙げてください。ひとつは、ひろく新社会人にすすめたいもの。ひとつは、自分と同じ仕事をする人にすすめたいもの。もうひとつは、自分が個人的におすすめしたいもの。」

そうして集めたおすすめアイテムをもとに、新社会人によろこんでもらえそうなブログ記事を書こう、というのがこの依頼の目的だったので、それからしばらくして今度は、「エンジニアのみんながおすすめしてくれたアイテムからいくつかピックアップして記事を書いてください」という依頼が来ました。それで書いたのが、今日会社のブログに掲載した、この記事です。

じつは、読んでいただければわかるのですが、そこにぼくは自分のおすすめを載せませんでした。

というのも、まずぼくは、これら3ついっしょに掲載されるものとして書いちゃったからなんですよね。ひとりずつ記事を書くと思い込んでいました。それから、なんというか……長さとノリがすごく浮いてしまいそうで(笑)、みんなのピックアップとはどうにも並べづらかったのでした。ちょっと熱っぽくウェットなことを書いちゃったので。

こりゃあ、ちょっと載せらんないなー、というわけで、頭を掻きながら外すことにしたのです。

が。でも。ぼくはこの3つのおすすめを書くとき、なかなか真剣な気持ちだったんですよね。普段あまり交流することもないけれど、不安も希望もどちらもたくさん抱えているだろう若者たちに、当時の自分が知らなかったことをいまの自分から伝えるようなつもりで、けっこう一生懸命書いたのでした。

だから、載せるならできれば全部をと思ったので、わがままを言って、自分のブログに載せることにさせてもらいました。

それが、いま読んでいただいているこの記事です。

ここから下に、その3つの「持っているといいもの」を載せてみますので、もしまだお時間をいただけるようでしたら、ちょっと読んでみてください。

すべての新社会人へ:
希望と好奇心(そして適度な距離と疑問)

ぼくたちは、ものをつくり、渡し、受け取って、使いながら暮らしているので、多くの仕事は、このぐるぐるした営みのどこかには関係していると思います。

仕事を始めると、目の前のものを次から次へとどうにかしつづけることになるのですが、そうすると、自分のほうもどうにかなっていきます。成長もある一方、どうしようもなく腹が立ってひたすら傷つくだけのことも、きっとあります。そんなとき、目の前にあるもの・こと・人を大事にするのと同じくらいには、自分の心と気持ちを大事にしてほしいと思います。

ものも人も、変わり、なくなります。人の心はむしろ変わり続けるものだから、ひとつの思いを持ち続けるのは難しいですよね。でもだからこそ、凝り固まらず、変え続けることもできます。できるはず。きっと、たぶん。その希望を持ち続けてほしいのです。

……などと大人ぶった人の言うことをそのまま受け入れる必要はありません。好きなもの・嫌いなものをそのまま好き・嫌いでいられることは、ほかのだれにも邪魔できないのです。自分の好き嫌いで誰かの好き嫌いを良いとか悪いとかいう人がいるとしても、そんな勘違いさんとは関係なく、世の中、おもしろいこと、おもしろい人でいっぱいなのです。自分のあたりまえとは違うあたりまえで満ちています。

すべてが自分の思うとおりになっていなくて、だから面倒だけどおもしろくて、よかったですよね!

インタフェイスデザインに携わる人へ:
お気に入りの筆記用具(とくに紙と鉛筆)

これに慣れ親しんだ世代に生まれたということでもあるでしょうし、これから時代が進めばどうなるかわからないけれど、さしあたって現在、紙に書く・描く以上に自由で柔軟な体験ができる道具はまだないと思います。

万年筆もつかいますが、それよりも気軽に愛用しているのが、鉛筆。HB や 2B ではなく、8B です。軸の太さと芯の柔らかさで、童心に返るような気持ちがします。丸く短くなっていく芯と、変化する描線。紙の凹凸を滑る感覚を身体的にたのしめます。削るときのあらたまる気持ちもうれしいです。

最近、あたらしいノートを持ち歩き始めました。赤い糸の綴じがかわいらしいじゃないか、と。ただ、1ページ目がなかなか使えなくて、ついつい、いくらか気軽なB6スケッチブックのほうをよく使います。脈絡なく思いついたわけのわからない言葉(「インド人もしゃっくり」とか「天上天下唯我独走状態」とか)をできるだけきれいに書いてみたり、自分の名前の練習をしてみたり、未だ存在しないなにかのロゴをデザインしてみたり。

手を動かしているうちに、インタフェイスについて納得したりひらめいたりすることは多いです。あたらしい駄洒落を思いついたりもね。

ぼくのような人へ:
安心できる一冊の本(たとえば小説や物語)

なにか一冊、生涯好きなままだろうなと思える本に、もう出会えている人は幸運です。ぼくも幸運でした。ぼろぼろのおなじ文庫本を、中学生くらいのときからよく持ち歩いています。

文庫本なのは最初に出会った形態がそれだったからで、べつに単行本でも電子書籍でもいいのです。また、ぼくの場合は文字で書かれた本が自分の世界を思い出しやすいのですが、漫画でも写真集でも取扱説明書でも、なんでもいいはず。

なにかあったら、ひらきます。どうしても嫌なことがあったら、遠慮なくその世界に逃げ込んでしまいましょう。どうしても迷いが消えないときは、主人公なら、あるいはむかしその本をひらいたときの自分ならどうか、判断基準を委ねてもいいんじゃないでしょうか。

生涯好きなままだろうなと思える本、それはたぶん自分を作った本なので、それを開いて考えることは、ただの逃避や委任ではないと思っています。そんな「自分の本」に出会えれば、きっと、自分と向き合う場所になってくれることでしょう。(「ぼくの本」がなんなのかは、もしご興味があればまだどこかで)